昭和40年9月3日  朝の御理解



 お庭を、おー、作らしてもらうのに、えー、必ず、泉水とか滝とか、まあ蹲(つくばい)といいますか、(えんしゃきりんな?)手洗い、(?)の、うーん、本当にその、まね方のここに手洗いがございますでしょう。この(かけし?)なんかをひきましてね、で、その、(かけし?)からこう、水が落ちておる。大きな庭なんかになりますと、滝なんかも作って、その、庭のどこからか滝の落ちる音がざーっとしておる。
 庭先には、(かけし?)をつとうて、えー、落ちてくる、うー、水の音といったようなものを見るということだけではなくて、耳から入ってくるところの、おー、庭のですね、気分というものなんですけど、あれは例えば、うーん、町の中におっても、おー、深山、いわゆる深い山にでもおるような気分を味あわせるためだと。また、そういう効果があるんですね。本当にあの、静かな静かな、そのう、雰囲気の中に、いー、滝の音を聞いたり、またはそのう、(かけし?)をつとうて落ちてくる水の音を聞いておると、その静かさが、より静かな気分がいたします。
 考えてみると不思議なことですね。もう静かだとなる。ああ静かー、何も音一つしないといった方が、静かだろうというふうにあるけれども、そうでもない。ざーっというその、滝の音を聞いたり、ね、(かけし?)からつとうてくる水の音を聞いてかえって、その、静寂を感じると。なかなか、私共の、おー、いわゆるこの計算通りに、ということにはいけないということ、ね。そこへんにひとつの不思議を感じますですね。
 それこそ、おー、水も漏らさんような設計をして、そして、その、おー、今の文化的な住宅なんかを作りますと、もう、それこそ、抜け目がないようにしてあって、何とうなしに、その、文化住宅では、かえって、えー、便利が悪いと。心のいこいができない。昔の、そういうことの中にはあんまり頭を使わないで、ちょっと、おー、まあ言うならば、あー、わらぶき家の、まあ言うならほったて小屋のような感じの茶室なんかが、そんなのがあるんですけれども、それで、かえって、えー、便利にできておると。
 というようにですね、(そこにきに?)、ひとつのいろんな不思議を思うのですね。人間の、おー、まあ知恵というか知能というか、といったようなものは、あー、神様の言うなら計算からいくと、本当に幼稚なものであるということ。そういうことにだんだん気が付かせて頂いて、今、申しますような、庭の設計とか、または、ああー、住宅なら、住まいなら、住まいのことも考慮していくと。
 最近では建築法なんかでも、だんだん、明るい家明るい家と言うておったのが、少し、家の中には暗い部屋がなからなければ落ち着かないといったようなふうに、なってきておるということでございますね。私は昨日、あの、善導寺の総代さんで、「先崎さん?」という方がおられます。一日の月次祭にちょっと私が、山北、あー、(せんぞく?)の向うの方ですね。の、おられた方です、あちらに(?)さんが多いです。
 ですから、あの、お手洗い鉢ができます。ね、今度のまあご造営の所の。そのう、善導寺のあの奥城を作った石屋がおりますから、見積もりを出してもらいたい、あのう、いっぺん、お話聞きたいから、暇なときに来てもらうようにという言付けをしときましたら、昨日、わざわざ自分が連れて見えて、で、昨日、うーん、いろいろ、まあご面倒かけたわけですけれども、まあ石屋さんには、帰られましてから、その後にまた残られてから、いろいろ話してございました、なかなかおとなしい方なんですけれどもね。
 もとは長年、勤めておられたんですけれども、もう、定年になるちょっと前に辞められて、そして、あの、(やまきと?)の、ちょっと山の中に入られて、(開拓だい?)に入られましてね、そして、とにかく玉数だけでも百枚あるそうです。もちろん山の(かけ?)ですから、小さい竹沢山あるんですね。
 その時の、終戦後のことですが、うーん、退職金が1300円であったと。それで、家族4人の者が、あー、4台2月ぐらい食べられるくらいな、あー、あれ、お金も蓄えもないのに、そこに、え―、縁もゆかりもないところにみえて、そして、あちらの、おー、大地主さんという方が非常に奇特な方でですね。そのう、ここの山を開いてくれるならば、月々の生活を自分が見てやろうと、毎月その、欠かさず1000円ずつ送って下さったっちゅうことですね。
 もうそら全然百姓のしたことのないから、皆さんもご承知でしょうか、小さい、ちょうど久保山先生見るような感じの、小さい方なんですよ。それでも百姓、くわひとつ持ったこともないのに、そのう、そういう山に取り組んで、えー、材木を切る、根を掘らなければならない、少し掘っていきよったらもう石がある。石を掘り出しては、それをずっとこう、田んぼの、おー、石垣にしていかれた。で、小さい、山で見る、あの(やまだ?)ですたいね。
 それをだんだんだんだん、作って、もう10何年間、まあようもようも、本当にこんなに辛抱ができたもんだと。もう3年目くらいには、家内も娘達も泣き出してしもうてから、もうこんなことやめるといった、言われたそうです。その間には、まあずいぶんな、まあ言うならお試しですかね、もう行くまいというようなところではあったけれども、現在ではそこに、ほとんど桃の木が、浮羽郡で桃の木を、桃を植えられたのはあちらが一番初めだそうですが、沢山な収穫があって、まあ生活には、またここと変わらないように、おかげを頂いておるように、話なんです。
 そしてその、おー、そこの地主さんの話をしておられましたが、世の中には変わった方があればあるもんだと思うですね。(?)っていう(むら?)ですかね、茶園。あの、お茶のお茶畑です。日本で個人では2番だそうですね。そんな沢山持っておられるそうです。それから、家では焼酎を五臓してます。焼酎あるんですよ。ですからこう、話しを聞き、大体いくつくらいの方ですかって言って、まあ44、5だって言われますから、まあ20年前は25だったっちゅう、ということになりますたいね。
 そのまあだ24、5くらいの青年のその方がですたい、もうそのう、されることが実にその、美しいですね。もうあのう、おー、毎年、その方の屋敷の周囲が竹がきになっておるそうで、毎年それは、そのう、村中が計ってから、竹がきをするのに、もうそれこそ喜んで奉仕すると。それは今、あの、機械力なんかを使いますと、おー、今の人間の3分の1でいいそうです。そのう、いろんな、仕事に焼酎をしておられたり、お茶しておられたりしておられますからね。
 けれども、そうすると、そのう、仕事をしない人が沢山できるから、家はこれでいいと言われるそうです。ほいでも計算をするともう、もう、その、どうしてもやっぱ赤字になっておるそうです。例えば その、年に一回、えー、奉仕を村中の者達に、寄ってたかって、その、奉仕をすると、竹がけ作るなんかどんがです、もうそれは、ああー、それこそ、妊婦さん雇うてした方がどのくらい安くつくか分からんというんだそうですけれども、皆が日頃お世話になっておるからと言うので、皆が作る。幼稚園なんかもしておられるそうですが、保育園ですかね、幼稚園ですか、全然、無月謝だそうです。
 そら、やっぱり保母さん達も何人も雇うてから、そこから経営して、そいで村中の子供を扱って、その幼稚園を経営しておる。月謝なしだそうです、ね。あちらの、山、来た人の公道もあちらが一人でおかげを受けられたということなんですけれど。まあまた、一番大きなとこです、(せんずのとくもさることながら?)です、そういう大きな財産を受け継がれる、また、あー、二十歳時代で、そこの後を受けられた、言うならまあ、いわゆる(だんなんさん?)ですたいね、昔から申します、(だんなんさん?)です。
 そこにです、もう本当に、不思議でたまらんということがあると言われると。もうあれだけ、世の、村のために人のためにです、奉仕して、いつもその、おー、赤字であらなければならないはずのが、どんどんやっぱ財産が伸びておるという話なんです、ね。この辺を私共がひとつ信心で分からして頂いたら有難いと思うですね。うん。
 不思議なことです、ね、かえって、水の音やら滝の音を聞いて、ね、その、やかましかろうはずのがやかましいどころか、かえって、その、静寂を感じさせるようにです、ね、世のために社会のためにです、または、人のために、人の喜ぶことのためにです、奉仕して、どんなに計算しても、そろばんを持ったら、赤字であらなければならないはずなのに、年々、やはり、繁昌を辿っておるということ。
 もうそしてその、もうひとつも旦那さん、ぶんなさらんそうですね。もう村内のもんでも、もうこちらから早うものを言わんと、その、おー、もの言い損なうぐらいに地が、その、頭の低い方らしいですね。そいでもう、村中で、えー、神様のように、まあその、言うそうですが。本当にいろいろ、おー、教えられることがございます。ね。椛目でご信心を頂かれて、ね、本当にまあ、あー、教えを元にしてから生活なさっておられる方達。中途半端ではいけませんようですね。
 例えば朝の時間を何時間て費やして、ね、まあ見積もり、あー、計算するなら随分のお金を使われて、信心のために。それでいて、財産も減らんどころかです、まあちょっとしたら、んなら、ひとつの例を言うならば、原さんなら原さんのお宅なんかでもそうなんですね。嫁さんごつ家のように、そのう、大きな洋服屋さんでもない。家族中の方達がぼちぼちやっておられるという、まあ言うなら小さいお店。
 それでもご信心されるまでは、随分やっぱ繁昌した。繁昌したけれども借金の方も繁昌した(笑)、ね。やっぱり、半年半年の盆、正月といった時には、それが払われずに、やっぱり、一生懸命商売は繁盛しておるけれども、借金も増えていったと。信心さして頂くようになってから途端に仕事が、まあ少なくなった。まあいろいろな都合もございましょう。ね。
 ですから、もう本当、まあ同業者の方達が、ああそのう、まあちっと全然やらんのといったような意味のことを言うて下さる方達もあるんだけれども、結構これでおかげを頂いておるということ。まあ椛目でいろんな意味で御用を頂かれるという意味でも第一人者でしょうね、椛目では。ね。
 原さんのお店で、どうしてこれだけのことができるだろうかとは、私いつも思うくらいです。それでいて、おかげで借金払いもできた。おかげで毎日食べていくということに事欠かない。なるほど他所の洋服屋さん方になると、例えばなら、(きじゅう?)な金を沢山もって、それは、あのう、格好はいいですよね。けれどもやっぱり借金が増えていく。
 昨日もでした、お届けされるのに、まあせめてその、うー、お客さんにお見せする、少しばかりの生地くらい家の方も店にストックがあって、その中から、こうよってもらうくらいなおかげ頂きたいというふうな意味のことを言うておられましたがです、ね。なるほど、洋服を作ると言われりゃあ、いちいち、うーん、小さい部品をから、その生地類から、その都度都度見本を見てもろうては、それで、作られる。なら、そして、新たにそれだけを、生地を注文されるといったような、まあ言わば生き方なんですけれども、おかげでその、困るということはない、ね。
 子供さん達が次々と縁につかれていかれる、ね。別になら、おかしい、その仕付けひとつしてしてあげられるでもです、ね、ちょうど原さんの家には、言わば勿体無いぐらいな仕付けをしてやって、えー、やっぱり次々と娘さんたちを、おー、片付けておられる。どんなに考えても計算ではいかんですね。
 例えばなら一月なら一月の間にですたい、椛目に打ち込んでおられる、まあ例えば、時間とか金銭とかと言うたら、もうそれが、もちろん一番主をなすものでしょう。それでいて、なら、別になら商売が繁盛しておるようにはないけれども、その、さっきの(やまと?)との話じゃないですけれどもですね、赤字にならねばならんはずが赤字になっていきよらないということ、ね。
 まあそれは、まあ椛目の、原さんなら原さんという、うー、ご信者さんの、まあ言うなら一例なんですけれども、ね。計算尽くで、ね、そろばんを持ってからの、言わば信心ではです、そういう本当に神様のおかげと言わなければおられないというような、私は生活、信心生活、またそういう雰囲気は生まれてこないと思うんですね。
 これは信心を抜きにしましても、ただ今、私が、その、おー、静寂のことについて申しますように、その、山瀬の、その旦那さんの話に、をもって申しましたがです、信心をさして頂いてもやはり、もうひとつそこに深さを感じるわけなんです、ね。ですから皆さん、もうその、ある意味合いでは時間の観念も、ね、金銭の上なら金銭の上のそろばんづくも、分からんですむだけの、私はおかげを頂きなさらなければです、ね、神様のおかげを本当に受けることはできないと私は思う、ね。
 玉水の、おー、教会の先代湯川先生のお話は、もう実に(うがった?)お話ばかり。ね。それで、その、おかげの頂けれるひとつのこつ合いという、お徳を受けていくためのその、こつ合いというものをおもしろおかしゅう話される中に、そのう、話して残っております中にですね、それを金銭の上に難儀をしておられる、おー、商売人の方が参って来た。あちらは大阪の方ですから商売人が多いんですね。
 それでは毎年、毎月やっぱり赤字になるはずだと。足らんばっかりで、いよいよ火達磨になっていくばっかりだ。ところが信心させて頂くようになってから、だんだんおかげを頂いていっておると。もちろんおかげを頂くということでしょうけれども、初め、参って来た時に、ご信者さんに一番に言われたことが、ふるってある。
 今日から毎日毎日の売上を計算するなと言う。そしてから、集金が来たならです、それは開けて、あるだけ払え、月末になってから後で決して、計算どもするなと。売上がもうかつかつ、いわゆる昔あったです、全部赤字。ね。中にかつがつ入れるだけ。計算をするなと、帳面につけるなと。「そんな無茶な」とこう言うようですけれども、それを実行された。月末にはいつも払いが足らんはずのに、きれいに払いができたと言うておる。本当に(じっこうだい?)のおかげを頂いた。お礼に(ひとつこと?)です。
 ところがその、2月目です、もう月の25日という頃にです、先生が言われておるようなことを実行しよったけれども、ちょっと不安になった。果たしてこの月末の支払いがもう、もう月末が(たいげい?)でいいかげん貯まっておるじゃろうと。とりわけその、きれいに、その、調べられた。はあこの調子ならまた、支払いができるかもしれんと。
 と思うてから、月末なったところが、どっこい支払いの方が足りない。そこで、そのことをお取次ぎ願われた。先月はこうして、支払いが十分できたんですけれども、今月は支払いが足りません。そんなはずがないがと仰るったんです。お前そろばんを持ったなと。できるか計算したろうっち。へえそら実は25日の日に、もういよいよ月末間近になったからと思って、大体どのくらいだん、金が貯まっとるじゃろうかと思うて、計算だけはしましたけれども、それでおかげを受けとらんちこう言いましたっち、ね。
 それは、今日、そのことをですたい、私は、そのう、はっきり、どういうようなわけでそういうことになるのかと。理屈がちょっと、その、その道理っていうかですね、整然として理屈の話もできるんですけれども、理屈を抜きにしてです、例えば今日の話は。ね、理屈を抜きにしてそういうようなあり方にならせて頂くということ。そこに私は言わば、信心生活さして頂く者の、いよいよ不思議、「信心しておかげを受けるのを不思議とは言うまじきものぞ」と。「信心してみかげのないときこそ、不思議なことじゃ」と言われるような、不思議なおかげをです、頂かなければ、実を言うたら信心の、おー、言わば有難さというか、ね、味わいというものはないと思うのですよ、ね。
 皆さん、そのことを理屈で分かりたいと思うならば、うー、考えてごらんなさい、皆さんでもお分かりになるかもしれません。また、でなかったら私があの、整然とお話を、おー、してさしあげてもよろしい。けれども信心は理屈じゃあないということ。理屈抜きにしてです、例えば、あー、それを本当に、もう実に不思議な不思議なこと、ね。ですから、そこのところを分からしてもろうて、せっかくお役に立たせてもらうならば、せっかくおかげを頂くならば、もっと垢抜けのした、もっと広い範囲の上にそういうおかげを頂きたいと願うところに、信心の成長があると私は思う。いわゆる、おかげの拡大があると思う、ね。
 もう一つ、例えばなら原さんとこの例をとらせて頂きましたけれども、なるほどお店の拡張はできた。お店も繁昌していきよる。誰が見てもそういうようなおかげの頂かれる中にです。そういような、私はひとつの土台、基礎というものを作って、それがだんだんそういう(?)を持って、大きゅうなっていく、椛目なんかのおかげなんかはそれなんです。ここに頂いておるおかげはそれなんです、ね。
 いわゆる、必要なものが必要に応じて、もうこげな不思議なことはない、ね。けれども、信心さして頂いてからのことならば、それは不思議な事ではないと。もし、そういうおかげを頂けるならば、それこそ、不思議なことであるから、いかに自分が不自然な生活をしておるか。いかに計算尽くな生活をしておるか、ね。いかにそろばんを持った信心をしておるかということを、私はやりなおさなければいけないというふうに思うですね。どうぞ、おかげを頂かにゃいけません。


明渡 真(7/9)